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『この世界の片隅に』 生きるということ、戦争の中で、戦争が終わっても

教育×アニメ

本日8月6日は、広島に原子爆弾が落とされた日です。

この記事を書いているのは2023年。

原子爆弾が落とされたのは1945年。

もう少しで80年経とうとしています。

かく言う私もまだ30代で、戦争を実際に経験したわけではありません。

そのような私でも、昭和時代に日本が経験した戦争で、日本だけでない多くの国々が、人々が、つらい思いをしたこと、戦争が繰り返されるべきではないことは分かります

実経験がない中、どのようにしてそのような思いに達するか。

それが歴史を学ぶ意義だと思います。

実際に自分が経験したわけでなくても、学ぶことで様々な教訓を得ることができます。

かつてドイツ帝国で「鉄血宰相」の異名を持った、かの有名なビスマルクは、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという言葉を残しています。

歴史を学ぶ意義について、端的に表した言葉だと私は思います。

戦争の教訓を語り継いでいくことにあたって懸念すべきことは、実際に戦争を経験し伝える人々が、どんどん少なくなっていくことです。

80年近く前の出来事ですから、それは仕方ないことです。

これからの社会を生きる若い世代が、どのように昭和時代の戦争について学んでいくか。

もちろん、学校の授業では習います。

習いますが、戦争に関する内容はとても複雑ですし、教え手や時代によって、イデオロギーを帯びてくる側面もあるかもしれません。(本当はあってはならないことですが…)

そのため、様々な角度から、自分なりに戦争というものに触れ、考えていくことが大切なのだと思います

(前段が長くなり申し訳ないです…)

今回私が紹介するのは、2016年に公開された映画、片渕須直監督『この世界の片隅に』です。この2016年は新海誠監督『君の名は。』や庵野秀明監督『シン・ゴジラ』など数々の話題作が公開された年でもあります。

そのような中、『この世界の片隅に』は、この年の日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞しました。

この受賞歴はもちろん素晴らしいですが、仮にそうでなくても、これから長きにわたって語り継がれていく作品だと思います。

〇あらすじ(ネタばれありますので注意してください)

広島で育った少女すず。

自分の空想をふくらませながら、絵を描くのが大好きな人物です。

すずは叔母の家で座敷わらしに出会ったり、街に出た際には化け物に攫われそうになったりと、感受性の強さゆえか不思議な体験をしながら成長します。

1944年、18歳になったすずに、見合い話が舞い込みます。

すずは、軍港だった呉の北条家のところへお嫁に行くことになりました。

夫の周作とは特に会話もしないまま結婚式を迎えますが、少しずつ打ち解け、北条家もすずを嫁として迎え入れていくようになりました。

そんなある日、周作の姉、径子が娘の晴美とともに北条家に出戻りしてきます。

径子は山口県の下関に嫁いでいたのですが、径子の夫が病気で亡くなってしまいました。

また、息子の久夫は跡取りとして下関に残ることになってしまったのです。

(明治時代から昭和時代に戦争に負けるまでは、「家父長制」というものが民法において採用されており、父から息子へ代々家の運営権を持つ「戸主」(こしゅ)としての役割が受け継がれていきました)

径子は里帰りを選択したため、息子とは離れ離れとなってしまったわけです。

里帰りに到るまでの経緯の複雑さもあってか、はじめはすずに対しての小言が多かった径子でしたが、すずの明るさやほのぼのとした性格もあり、次第に打ち解けていきました。

そんな中、次第に戦争も激化していき、すずが生活している呉にも、激しい空襲が頻発するようになっていきます。

周作の父が空襲で大怪我をして病院に入院。

周作が実家を離れて暮らすことにることになるなど、戦争の激化は、北条家にも影響を及ぼすのです。

ついには、すずにも…。

すずの義理の姉である径子は、娘の晴美と疎開することが決まります。

径子が疎開先へ移動するための汽車の切符を買う待ち時間に、すずは晴美を連れて周作の父の見舞いに出かけます。

しかし、その帰り道、空襲が発生してしまうのです。

とっさに防空壕へ逃げ込み、二人は難を逃れようとしますが、防空壕を出て帰る途中、近くにあった時限爆弾が突如爆発してしまいました。

気が付くとすずは布団に。

すずと一緒にいて、手を繋いでいた晴美は死んでしまったことを知ります。

すずも右手を失ってしまいました。

すずの右手は利き手。

すずはもう絵が上手に描けなくなってしまいます…。

そんな中「人殺し!晴美を返せ」

径子はすずを責めます。

すずはただ、謝るしかありません…。

後日。今度は北条家に焼夷弾が落ちます。

北条家を守るため、消火に奮戦するすず…。

その後、すずは夫の周作に広島へ帰りたいと訴えます。

晴美が亡くなったことに自責の念を禁じえなかったのです。

すずの旅立ちが決まった日に、径子はすずの髪をときながら、晴美が亡くなった時にすずを責めたことを謝罪します。

「すずさんの居場所はここでもええし、どこでもええ。下らん気兼ねはなしに、自分で決めい」

直後、空が光ります。

一瞬の間があり、すずが「ここにおらせてください…」と言った直後に、北条家が大きく揺れ、瓦が落ちます。

遠くには大きなきのこ雲。

広島に原爆が落とされたのです…

そして終戦を迎えます。

すずは両親を原爆で失います。

妹は唯一生き延びました。

その後、広島には米軍が上陸。

敗戦国となった日本。

焼け野原となった広島。

復興が本当に少しずつですが、少しずつでも穏やかな生活が戻ってきます。

焼野原となった広島のある場所で食事をする、すずと周作。

そこへ原爆により親を失い一人となった少女が近寄ってきます。

その少女の母は原爆の被害により、右腕を失った描写がありました。

同じく右腕のないすずに、少女は母と同じ匂いを感じたのでしょうか?

すずはその少女に食べ物を与え、それをきっかけに二人は少女を北条家に連れて帰ります。

少女にはたくさんのしらみ。

そのしらみを駆除しながら、北条家は新たな家族を笑顔で迎え入れるのでした。

〇感想

「悲しくて悲しくてとてもやりきれない」

サトウハチローの詩に曲をつけた、往年の偉大なグループ、ザ・フォーク・クルセダーズ。

そのザ・フォーク・クルセダーズの楽曲を、コトリンゴというアーティストがカバーした楽曲が、この作品のオープニング曲でした。

この曲が、この詩が、この作品の世界観をとても良く表していると思います。

本作の監督の片渕須直氏は、この映画について「戦争という大きなテーマを、一人の女性の視点から描くことで、戦争に巻き込まれた人々の生活や、その中で生きることの意味を問いかけたかった」と語っています。

悲しく悲しくてとてもやりきれなくても、主人公や周囲の人たちは、戦争という現実や時代の価値観に翻弄されながらも、本当に一生懸命に生きていくのです。

上映された当時、この作品に対しては戦争を描いた作品でありつつも、「純粋な反戦のメッセージではない」という評論がなされたりしました。

この評論については、なるほどと思う部分はあります、

例えば、戦時中の広島を描いた作品として有名な『はだしのげん』。

作者の思想が色濃く反映された結果、「左翼的だ」と批判を浴びたり、残酷な描写などもあり教育の現場にふさわしくないとして戦争について学ぶ教材ではなくなったりした経緯がありました

おそらく、その対比で『この世界の片隅に』を捉えている人がいたんだろうなと思います。

見方を変えれば、自分の戦争観や昭和時代観に合わない『はだしのゲン』という作品を、様々な理由をつけて排除してきた、という言い方もできるかと思います。

(私は『はだしのゲン』はそんなことを差し引いても名作であることに間違いはないと思っていますが…)

そのような中、戦時中の人々の生活を、(難癖付けられそうな)思想的な部分を排除して描くことで、『この世界の片隅に』は多くの人たちに勧めやすい普遍性を得た、とも言えるかもしれません。

いろいろ書きましたが、見ることで戦争というものについて、必ず何かしら考えるものがあるのではないかと思います。

昭和の戦争が終わって80年近く経ち、戦争を経験した世代が今後減っていく状況だからこそ、様々な媒体を通じて、「戦争について考える」という営みの大切さを、絶やさず伝えていきたいと私は思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました!