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灰原薬『応天の門』摂関政治前夜、政治抗争の歴史

私は社会科の教員として歴史を生徒に教えています。生徒たちに歴史を教える土台として,漫画で学んだことが大変役に立っています。

そこで、これまで私が読んできた漫画の中で、歴史学習につながったな、たくさんの方に読んで欲しいな、というものを紹介していきます。

今回は平安時代中期の日本の歴史を描いた、灰原薬『応天の門』を紹介します。

〇作品に登場する主な歴史上の人物・歴史上の出来事

以下に本作に登場する歴史上の人物と関連する歴史上の出来事を紹介します。

ストーリー内では、実際の歴史上の人物や出来事をもとにアレンジされています。

どこがどう異なるか調べてみるのも、歴史の勉強になると思います。

参考にしてみてください。

・菅原道真(すがわらのみちざね)

…平安時代の貴族,学者,政治家。政治の最高位である「太政大臣」まで出世しました。

中学校の教科書では、遣唐使の廃止(894年。「白紙(はくし)に戻そう遣唐使の廃止」などと語呂合わせ)を進言した人物として掲載されています。

道真が活躍した時代は、それまで日本が手本としてきた唐が衰退した時期であり、遭難などのリスクを犯してまで遣唐使を派遣するかどうかの議論がなされたのです。

遣唐使の廃止により、日本国内において唐の文化を土台としつつ日本独自の文化である「国風文化」が花開きました。

国風文化のもとでは、漢字をベースとした「かな文字」(いわゆる、ひらがな、カタカナ)が生まれ、紫式部『源氏物語』や、清少納言『枕草子』など、優れた文学作品が生まれました

菅原道真は、藤原基経(後に紹介)がなくなった後、時の天皇に重用されましたが、基経の後を継いだ藤原時平(ふじわらのときひら)と対立します。

菅原道真は最終的に無実のうわさをきっかけに、九州の大宰府(だざいふ。現在の福岡県)に左遷され、その地で病死しました。

その後すぐに、平安京にある清涼殿(せいりょうでん)という建物に雷が落ちました。

当時の人たちは、「これは平安京から左遷され、非業の死を遂げた菅原道真の祟りだ」と考え、京都の北野天満宮(きたのてんまんぐう)に祭られました。

現在、菅原道真が祭られている神社は全国各地にあります。

学者として高名だった彼の事績にちなんで、「学問の神様」と呼ばれたり、清涼殿落雷事件にちなんで「雷神(らいじん)」と呼ばれたり、様々な信仰が残っています。

・在原業平(ありわらのなりひら)

…平安時代中期の貴族。平城天皇(へいぜいてんのう)の孫で、右近衛権中将(うこのえごんのちゅうじょう)などの武官として兵士を率いて平安京の治安維持にあたりました。

和歌の名手でもあり、『古今和歌集』に彼の和歌が複数選ばれました。

また、『伊勢物語』という歌物語の主人公のモデルとなったと言われています。

・藤原良房(ふじわらのよしふさ)

…藤原氏の中で、北家(ほっけ)という一族の出身。藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)の次男。

842年の承和の変(じょうわのへん)、866年の応天門の変(おうてんもんのへん)で他の藤原氏や、橘氏(たちばなし)、伴氏(とものし)といった有力貴族を退けていきました。

最終的には、日本の政治の歴史の中で、皇族以外の人物としてはじめて「摂政」(せっしょう)(天皇の政治の補佐役。)となり、後の摂関政治(せっかんせいじ)につながる藤原氏北家の礎を築きました

・藤原基経(ふじわらのもとつね)

…藤原良房の養子として、政治の中枢で活躍。

上記の応天門の変を経て摂政となった藤原良房を亡くなった後、876年に即位した陽成天皇(ようぜいてんのう)が幼少だったために、良房の後を継いで摂政に就任しました。

その後には、887年~888年の阿衡の紛議(あこうのふんぎ。阿衡事件とも)が発生し、日本の歴史上はじめて「関白」という役職に就任しました。

※阿衡の紛議とは?

…藤原基経が関白に就任するまでに起きた騒動。

887年に当時の天皇である宇多天皇(うだてんのう)が、藤原基経を「関白」に任じる勅書(ちょくしょ。天皇直々の命令のこと)を出します。

当時の政治家の中には、天皇により高い役職に任命されたときは形式的に一旦断り、もう一度天皇がその役職に就くことを改めて命じる、という慣例がありました。

この慣例に従い、基経は関白衆院の打診を一度断ります。

すると、宇多天皇が改めて基経に出した関白就任の勅書の中に、「宜しく阿衡の任を以て卿の任とせよ」という一文がありました。

「阿衡」(あこう)というのは、古代中国にあった「殷」(いん)という王朝にあったとされる高い役職です。

宇多天皇の勅書においては、「阿衡のように高い地位の役職である関白」という意味合いで用いられたのですが、この「阿衡」という役職には古代中国において具体的な仕事がなかったことが後に分かります。

基経はこれを受けて、「関白が阿衡のような役職であるのならば、一切の政務を私は行う必要はない」というような主張を行い、約半年間も政務が滞ってしまうのです。

この騒動に対し、菅原道真は藤原基経を説得する意見書を発出し、基経がその意見書を受けれ入れて収まったのでした。

この「阿衡の紛議」は、朝廷において藤原氏の中心人物が大きな影響力を持っており、藤原氏なしでは政務がまわらないことを天皇やその近臣たちに示す事件でした。しかし、一方でこの事件当時の宇多天皇にとっては天皇に逆らうような行動を取る基経の行動は屈辱的なものでもあったため、基経が亡くなった後に、菅原道真が重用されたことにつながっていきました。

〇平安時代を学ぶ題材としての『応天の門』のすすめ

登場する人物の紹介で、既に燃え尽きつつあります…。笑

上記の内容から、天皇家と藤原氏、藤原氏とそれ以外の貴族など、様々な対立構造が複雑に絡まり合った時代だったことが分かります。

そのような複雑な時代を舞台に、菅原道真と在原業平が協力して、平安京に起きる難事件を解決していく、というのがこのまんがの基本線です。

平安時代には「祟り」などの信仰があり、何か事件が起きると「祟りじゃあ~」と恐れおののく当時の人たちの様子が描かれます。

そんな中菅原道真は、事件を客観的に分析し、祟りなどの先入観に囚われずに解決していきます。

その姿はまるで「名探偵コ〇ン」的でもありますが、そこにたくさんの政治抗争が絡んでくるわけです。

とても奥深い作品となっています。

作品はまだ完結していないため、実際の歴史上の出来事を絡めながらこれからどのようにストーリーが進んでいく中が、とても楽しみです。

〇最後に

この作品からは、平安時代の複雑な政治抗争の歴史だけなく、自分本位に出世していこうとする姿から「人間とは何か?」という学びも得ることが出来ます!

まんがで歴史を学ぶことは、歴史をただの文字の羅列ではなく、その時々の時代を人々がどのように生きたのか、イメージを持つことにもつながります。

興味を持ってくださった方は、是非お読みいただければと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました!