注目キーワード
  1. 教育
  2. 音楽
  3. お金
  4. ゲーム

読書『先生がいなくなる』

教育×読書

 今回紹介するのは、内田良、小室淑恵、田川拓麿、西村祐二共著『先生がいなくなる』(PHP新書)である。

 私は中学校で社会科を教える教員である。

・勤務時間より前に生徒が登校していること。

・教科指導が本分のはずが、それ以外の多様な業務に追われてしまうこと。

・給特法という法律の存在により、給料の4%を固定で上乗せして支払う代わりに、それ以上の残業代は支払われないこと。

・いわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者への対応

・いわゆる「不登校」と呼ばれる生徒への対応

(いわゆるとしているのは、私自身がこの「不登校」という固有名詞に、あまり納得ができない響きを感じるからである。機会があれば別の記事にしようと思う)

・部活動指導

Etc…

 学校現場の大変さは実感している。躊躇なく言うとブラックだ。

 しかし、このような教育現場の大変さを主張すると、「そんなこと分かっていて教員になったんだろう。嫌なら辞めれば良いではないか」という言葉が寄せられることがある。

 本気でこう思う人は、このような言葉が現場の教員の熱意をいかに冷めさせるかを自覚した方が良いと私は思う。

 私がそう考える理由は2つある。

 まず一つ目は、大学の授業や教育実習だけでは本当の意味で教員の大変さを実感しづらいという点だ。つまり、教員の大変さを実感し切れないまま教員という職業を選んだ人にとっては、「そんなこと分かっていて教員になった」という批判がそもそも当たらないということになるのである。

 教育実習で実習生に課されるミッションは、自分が担当する科目の授業の指導案を作成し、授業を実践するということ。そして、実習日誌を作成すること。大きく分けてこの二つだ。

 もちろん実際に生徒と触れ合うことから得られる気付きなどもあると思うが、指導案作成と実習日誌作成という二大巨頭がある限りは、そこへの意識は薄れざるを得ない部分ある。

 極論、どちらもテーマに応じた「作文」を期限に合わせてそれなりに作成できるかどうか、このスキルが問われるということなのである。他にも言いたいことは山ほどあるが、とにかく大学の授業や教育実習で、教員の大変さを実感するのは無理筋だということである。

 二つ目の理由は、「大変なのは分かっていて、それでも多くのやりがいを感じて教職を選んでいる」という人がいるということである。このような、まさしく「聖職者」のマインドを持っている先生が、現場にはたくさんいる。

 そのような方々に対する、「そんなこと分かっていて教員になったんだろ」という批判が、いかに鋭利な刃物となりうるか。

 このような自己責任論は、将来の日本の担い手である子どもを育てる、「教育」という重要な営みすら否定することになるのではないかと私は考える。

 考えてみて欲しい。自分の子ども。大切なこどもが受ける公教育において、

給特法というそもそもの大きな仕組みのバグから来る「定額働かせ放題」の常態化

上記による、教員採用試験の倍率の低下による優秀な教員の確保の困難化

潜在的な問題(児童生徒性愛の傾向者や教科指導への勉強不足など)を抱えるかもしれない教員の採用の増加

公教育の質の低下

「学力の経済格差」の更なる進行

上記のような流れが起きる可能性があるということである。

(もしくは目下進行中…。)

 乱文となり申し訳ないが、とにもかくにも、本書で述べられる給特法の廃止への道筋が示されることが、日本の公教育には必要だと強く納得したのである。

 自民党は2023年5月に、この給特法を現行の4%上乗せから、「10%上乗せ」に増額すべきだと主張しているようだ。これに対し立憲民主党は、「給特法は廃止すべきだ」と主張している。私は特定の支持政党を持たないが、この議論により日本の公教育が持続可能な方向に向かうことを切に願っている。